備中松山城
スポンサードリンク
2011年8月15日。
備中高梁駅から徒歩で備中松山城まで向かいました。
備中高梁駅から備中松山城まで、約400メートルの標高差があります。
登城は登山道を使いました。 駅から1.7キロほど歩いて、登山道に入ります。
登山口
30度を超える天気もあってか、行きも帰りも登山道で人とすれ違うことはありませんでした。
登山道の中間点あたりに、忠臣蔵で有名な大石内蔵助が腰掛けたとされる石がありました。
当時、備中松山藩を治めていた水谷家が断絶、改易となったため、備中松山城の受け渡しに 赤穂藩が指名され、先鋒として大石内蔵助が乗り込んで来たそうな。

備中松山城の足軽箱番所跡付近の石垣です。 標高430メートルまでどうやって石を運んできたんでしょうね。
二の丸から見た備中松山城の天守閣。
本丸から見た備中松山城の天守閣。
備中松山城の天守閣から見える景色。
鉄門跡から見える高梁市内。

備中高梁駅から徒歩で備中松山城まで向かいました。
備中高梁駅から備中松山城まで、約400メートルの標高差があります。
登城は登山道を使いました。 駅から1.7キロほど歩いて、登山道に入ります。
登山口
30度を超える天気もあってか、行きも帰りも登山道で人とすれ違うことはありませんでした。
登山道の中間点あたりに、忠臣蔵で有名な大石内蔵助が腰掛けたとされる石がありました。
当時、備中松山藩を治めていた水谷家が断絶、改易となったため、備中松山城の受け渡しに 赤穂藩が指名され、先鋒として大石内蔵助が乗り込んで来たそうな。
備中松山城の足軽箱番所跡付近の石垣です。 標高430メートルまでどうやって石を運んできたんでしょうね。
二の丸から見た備中松山城の天守閣。
本丸から見た備中松山城の天守閣。
備中松山城の天守閣から見える景色。
鉄門跡から見える高梁市内。
PR
スポンサードリンク
コメント